福嶋亮大「中国は「閉じた」国家なのか」

 『wasebun U30』に寄稿した論考では、現在の中国文化が情報化やグローバル化の流れにいかに応答しているかということをテーマに、いくつかの事例(陸川の映画、余華の小説、郭敬明の出版上の試みなど)を紹介した。とはいえ、そこでの議論はもっぱら、ここ数年のあいだに出てきた映画・小説における固有名の扱いの問題に限定されており、いささか歴史的な視点が欠けているきらいがあった。そこで、この評論ではその欠を補う意味で、別の角度から論点を補足しておきたい。それは、中国のグローバル化そのものは決して昨日今日の出来事というわけではないということである。
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from editor

待望の著書『神話が考える』が出たばかりの福嶋氏による中国/東アジア文化論。Googleの本土撤退を典型に、「排外的な専制国家」と思われがちな中国。だが、それは長い歴史のイレギュラーな事態だった。中国史を辿りながら展望する、東アジア文化論の構想。