2012-01-01から1年間の記事一覧

牧田真有子「ここに居てもいい資格」―連載〈泥棒とイーダ〉第5回

翌朝史乃と顔を合わせてようやく、そういえば彼女はどこまで見ていただろうと思った。あのあと、対岸の手すりにぶつかるようにして摑まった私が、腰を抜かしそうになりながら柵の内側へ戻ると彼女の姿はなかったのだ。足ががくがくしてまともに歩けなかった…

雅雲すくね「ゆでだこ」―連載〈蛸親爺〉第10回

「たーこ、たーこ。たーこ、たーこ、今日も日が暮れるねえ。ゆくりなく川は流る、か」 河原の堤を丈の低い草が覆い、群がる薄が風の吹くまにまにうねりを打って揺れている。夕日に向かっては、雁が群れをなして去る。蛸は土手の腹に寝そべり、そよ吹く風に靡…

雅雲すくね「民衆食堂百万年」―連載〈蛸親爺〉第9回

裏町の短い商店街、民衆食堂と墨で大書きにした暖簾の下では、木枠の入口に曇りガラスをはめ込んで、一枚には仮名で『めし』、一枚には真名で『酒』と派手に書いてある。両脇には大小の植木が鉢も見えぬほどに寄せて置かれているのが、夕日影を受け赤く染ま…

牧田真有子「この向こう側へ」―連載〈泥棒とイーダ〉第4回

文化祭当日はこれといった理由もなく学校にたどりつけなかった。イベントの一環として美術部がワークショップを行うとかで、部員である史乃とは顔を合わさずに済む日だったのだが、私の自転車はくねくねと遠回りをつづけた挙句、あらぬ方角へ走り去った。十…

雅雲すくね「白枠に並ぶ」―連載〈蛸親爺〉第8回

駅前のハンバーガー屋の窓ガラスに蛸がへばりついている。窓越しに客の若い男が坐っている。こちらは、盆に敷かれたチラシに目を注いだり、目をつむったりしている。 蛸が窓を叩きだした。若者の眼が蛸を見定めた。口では氷を嚙み砕いている。 「おう、小川…

雅雲すくね「萬屋金亀堂」―連載〈蛸親爺〉第7回

「たーこ、たーこ。たーこ、たーこっと、今日は照り返しがかなわねえ。暑気あたりに効くビール」 土手の上にほのめき立つ陽炎を透かした向こうから、蛸が来る。犬を伴っている。 「わん」と秋田犬が応じる。 「おめえさんも暑くはねえかい」と土手際の店の前…

玉川重機「草子ブックガイド 早稲田文学編」第6回、公開!

現在配布中の「早稲田文学フリーペーパーWB」vol.25に掲載している、玉川重機「草子ブックガイド 早稲田文学編」第6回を公開します。 今号は、J・L・ボルヘス「バベルの図書館」。ボルヘスが書き上げた無限につづく迷宮のような図書館を、玉川さんが描く…

牧田真有子「Just for Fun」―連載〈泥棒とイーダ〉第3回

腕を伸ばしすぎて崩した体のバランスはどうにか持ち直したが、もがいた拍子に、ブレザーの袖口が水面をかすめた。あと少しだ。池の中から突き出す岩に片手片足を掛け、空いている手を思いきり伸ばして、水中でゆらゆらと歪曲していた袋を引き上げる。低くし…

雅雲すくね「奉納の踊り」―連載〈蛸親爺〉第6回

『カットのみ二千円 親切丁寧』と床屋に出された看板を、着流しのお爺さんが腕を組んで見下ろしている。 商店には軒並に提燈が吊られ、祭囃子が晴れた空へ上がって、浴衣の小さい人が万灯を持って小刻みに駆けて行く。 店先には空の台が出され、脇に鉄板やガ…

牧田真有子「おざなり少女と刺青の男」―連載〈泥棒とイーダ〉第2回

雨音に金属の響きがまざる。鉄のはしごを傾げたような簡潔な造りの階段を佐原さんは降りてきた。細いというよりぎゅっと固めたような瘦せ方で、芯に重みがある。薄茶色いズボンの裾をたくし込んだ黒の長靴が、私の頭の高さへ至り、太ももの位置に達し、私の…

渡邉大輔「映像圏の「公共性」へ」―連載〈イメージの進行形〉最終回・後篇

それでは、以上のような現代社会における「対抗的公共圏」や「生存のためのサンディカ」の可能性を、冒頭のVPF問題も含めた現代の映像圏システムにおいていかなる形で生み出していくべきだろうか。これは、やはり途方もない問いだというべきだし、また、…

雅雲すくね「地下鉄道」―連載〈蛸親爺〉第5話

「たーこたーこ、たーこたーこ」と蛸が午過ぎに町医者の前を行く。 口を絞って手に提げた頭陀袋は、ウイスキー瓶の形に膨らむ。頸には包帯を巻いている。 青年が医院の戸から、短い草のまじる庭の砂利を踏みつつ、開け放たれた門に下って来た。 出たところで…

雅雲すくね「山の奥」―連載〈蛸親爺〉第4話

「たーこたーこ、たーこたーこ」と蛸が午過ぎに町医者の前を行く。 口を絞って手に提げた頭陀袋は、ウイスキー瓶の形に膨らむ。頸には包帯を巻いている。 青年が医院の戸から、短い草のまじる庭の砂利を踏みつつ、開け放たれた門に下って来た。 出たところで…

新連載! 牧田真有子〈泥棒とイーダ〉―第1回「命の恩人は黒装束!?」

「なつかし」 「何だっけ。ノスタルジア的な意味とは違うんだったよね。待って、思い出せそう」 私は目を閉じて指で眉間をもんでみた。昨日授業で覚えたはずの古文単語は、たしかにまだ遠くまでいっていない。どちらかといえば、目の前にある、裏返ったカー…

渡邉大輔「映像圏の「公共性」へ」―連載〈イメージの進行形〉最終回・中篇

何にせよ、筆者としては、この二つの側面をできる限り相互に照らし合わせながら、その中間に想定されうるある種の「社会的領域」を映像圏的世界と結び合わせたいと考えている。それでは、そもそも公共性あるいは公共圏なるものを映画や映像の領域において、…