新連載! 牧田真有子〈泥棒とイーダ〉―第1回「命の恩人は黒装束!?」

「なつかし」
「何だっけ。ノスタルジア的な意味とは違うんだったよね。待って、思い出せそう」
 私は目を閉じて指で眉間をもんでみた。昨日授業で覚えたはずの古文単語は、たしかにまだ遠くまでいっていない。どちらかといえば、目の前にある、裏返ったカードみたいだ。でも手が出ない。私の内側にありながら関係できない。思いきり「手」を伸ばそうとすると、自分がいきなり澄んでしまうような感じがした。
 どこかで犬が低く吠えた。川風は軽く湿っていた。
「これ以上待ったらあんたの眉間からおかしな煙が出てきそう。①親しみやすい、②心ひかれる様子だ、慕わしい」
 高らかに読み上げると、チカは颯爽と単語集を閉じた。「もうちょっとで思い出せそうだったのに」と自分でも真偽のわからないことを言いながら、私も埃っぽい腰掛から立ち上がる。
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 Wasebun on Web小説シリーズ第2弾、牧田真有子さんによる〈泥棒とイーダ〉第1回をお届けします。
 「あなたを支えているものはなんですか?」
 高校一年生の勝見亜季は幼い頃、ある男に命を救われた。このずっと前の出来事が、いまでも亜季を支えている。
 その恩人の佐原さんは29歳、在宅の校正者。日課は人助け、と言うには激しすぎる善行。あるときは助けた人を怯えさせ、あるときは闇夜の屋敷から黒装束で現れる…。
 そんな佐原さんを慕い、後をついてくる亜季に向かって佐原さんが放つ一言は――。
 支えを失うとき、人は弱くなる。でもまた歩き出せる。
 かつて命の危機に瀕した女子高生と、彼女を救ったドS気味のアラサー男子の、ちょっと変わった恋の話。

※この連載は基本的に、隔月でお届けします。


牧田真有子(まきた・まゆこ)
80年生。デビュー作「椅子」(「文學界」07年12月号)から一貫して、どんなことでも起こりうる世界と偶然ここにいる自分に戸惑う人物が、自己の座標を測りなおす瞬間を描く。ちょっとボンヤリした主人公とエキセントリックなパートナーのコンビが魅力。