渡邉大輔「映像圏の「公共性」へ」―連載〈イメージの進行形〉最終回・中篇

 何にせよ、筆者としては、この二つの側面をできる限り相互に照らし合わせながら、その中間に想定されうるある種の「社会的領域」を映像圏的世界と結び合わせたいと考えている。それでは、そもそも公共性あるいは公共圏なるものを映画や映像の領域において、いかなる形で仮託しえるのだろうか。例えば、政治思想史学者の齋藤純一は、「公共性」という日本語の用法には主に三つの意味が含まれていることを指摘している。第一に、公共事業や公的資金など「国家に関わる公的なものofficial」、第二に、公共の福祉、公益、公共心など「すべてのひとに共通のものcommon」、そして第三に、情報公開、公園など「すべてのひとに開かれていることopen」であるという。そして、この三つの意味は、時に相互に排他的な関係を構成する。例えば、それこそ喫緊の国家的課題とな�ているTPPへの参加の是非は、第一の意味では紛れもなく公共的なものだが、第二や第三の意味では必ずしも公共的ではないし、かたやGoogleWikipediaは、第三の意味では公共的だが、第一や第二の意味では公共性にはそぐわないはずだ。
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 渡邉大輔〈イメージの進行形〉最終回「映像圏の「公共性」へ」(中篇)を公開!
 このテーマで思いだされるのが、2010年の尖閣諸島中国漁船衝突映像流出事件。YouTubeニコニコ動画などが中心となる今の映像システムでは、だだ漏れ的オープンさが優勢になり、時に、オフィシャルである国家がその後を追いかけることになります。
 動画サイトへの違法アップロードを思いだしてもいいでしょう。
 これまでオフィシャルなものが制限していた領域が、漏洩し拡散しているわけです。この流れは不可逆で、これからも広がりつづけるでしょう。そこで新たに、考える枠組みが必要なのです。
 他方、やはり国家の枠を超えたグローバル資本主義は、社会の流動性を増し、ワーキングプアと呼ばれるような、「声なき人びと」を多く生み出してきました。それが少しずつ問題にされるようになってきて、たとえば、前篇で扱った富田克也監督『サウダーヂ』はそこに踏みいる作品でした。
 とはいえ、この状況はさらに広まるばかり…。

 果たして、これからの公共性はどうなるのか?
 前篇で取り上げたVPF問題にもはっきりと通じるこの問題に、単純な左翼的対抗軸とはまた違った、文化論的視角が、いま、求められているといえるでしょう。
 この中篇では、松江哲明監督『童貞。をプロデュース』を重要な作品として見ていきます。
 本来の意味を超えて、社会的な意味をもちはじめた童貞ですが、そこにどう関わるのか? 童貞から見る公共性、必見です。
※後篇は、先日の告知より遅れ、2月に更新する予定です。


そして渡邉大輔さんから、連載と関連するお知らせがあります。
http://d.hatena.ne.jp/daisukewatanabe1982/20120124/1327347572

さてさて、そんな今回の連載原稿と関連もある、大学関係の直近のイベントも今回は一緒にご紹介しておきたいと思います。
来る1月28日(土)から2月3日(金)までの1週間、渋谷のミニシアター、オーディトリウム渋谷にて<映画祭1968>という「1968年」をテーマにした特集上映が開催されます。
この映画祭、僕の講義している、というより、僕の直接の後輩である日本大学藝術学部映画学科の理論・評論コースに所属する現役3年生の学生さんたちが、すべて自分たちで企画を立て、準備を進めたイベントです。
公式サイトはこちら⇒映画祭1968
公式ツイッターはこちら⇒Twitter
劇場予告編はこちら⇒

以下に公式サイトの内容を転載します。

■「映画祭1968」について
マイ・バック・ページ』における学生運動は私たちには想像できない世界でした。彼らは何のために戦ったのか。私たちが生まれる前に何があったのか。そして何故こんなにも、この映画の終わり、学生運動の終わりはもの悲しい気持ちにさせるのか。最初はそのような小さな疑問でした。しかし、その疑問から始まり調べて行くにつれ、この時代の異様な熱気がその時代の映画から、またはその時代を舞台にした映画からとめどなく溢れてくるように感じられました。1960年代、世界は革命運動という流れに包まれていました。映画もまた、その多くの革命と同様に、革新的な変化を遂げていました。映画作家は撮影所から現場へカメラを持ち出し、その熱気をフィルムに収めていました。私たちはこの時代の熱気がこめられた数多くの映画の中から、選りすぐりの作品を一同に集め、上映することにしました。 あの運動の是非を、歴史的意味を映画から判断することはできない。でも、ここに集まった映画は、あの時代がなければ生まれることはなかった。私たちはこの映画祭で、学生運動の是非や偏見から捉えられがちなそれらの革新的な「映画」を、今の学生の視点で、改めて評価したい。この映画祭の中には暴力と非合法性があるかもしれない。しかしそのフィルムに焼きついている「新しさ」を求めて、映画を上映します。映画祭には当時を生きた人々、この時代をテーマに後に映画を撮った人々をゲストに招きます。いくつもの時代が交錯する、現役の日芸生による企画です。

「自分たちが生まれる前に何があったのか?1本の映画『マイ・バック・ページ』をきっかけに
動き始めた学生たちの好奇心は、“1968年”というテーマのもと、
明日を照らす光を求めて1つの祭りに結実しました。その成果をぜひご覧下さい」
渡辺祥子(映画評論家/日本大学芸術学部講師)

「今年初めて授業の一環で、学生が映画祭を企画することにした。それも学内ではなく一般の映画館で。
学生運動”というテーマには驚いたが、作品も自分たちで決めて、映画会社と交渉をしてしまった。
立派なチラシまでできて、これで客が大勢来たら本当に嫉妬しそうだ」
古賀 太(日本大学芸術学部教授)

トークショーゲストのご案内
日時:2012年1月28日(土)〜2 月 3 日(金)
主催:日本大学芸術学部映画学科理論・評論コース 3 年 / オーディトリウム渋谷
「1968年」に様々な形で関わり、対面してきた方々をゲストにお招きし、お話を頂きます。
眞武善行:元日本大学芸術学部闘争委員会委員長
高橋伴明監督:代表作に『BOX 袴田事件 命とは』『光の雨
山下敦弘監督:近年の作品に『マイ・バック・ページ』『リンダ リンダ リンダ
上野千鶴子さん:社会学者、フェミニスト。近著に『ケアの社会学』(太田出版)
塚本公雄さん:日大全共闘映画班。『続日大闘争』の撮影を一部担当。
若松孝二監督:近年の作品に『キャタピラー』『実録・連合赤軍あさま山荘への道程』
大津幸四郎:『圧殺の森-高崎経済大学闘争の記録-』や『パルチザン前史』を撮影。
笠井潔:ミステリ作家、批評家。代表作に「矢吹駆シリーズ」
1月28日(土) 14:00〜14:20
眞武善行(元日大芸術学部闘争委員会委員長)
(上映後のトークショー)
『日大闘争』『続日大闘争』
1月29日(日)19:50〜20:10 高橋伴明監督『光の雨
1月30日(月)19:25〜19:45 山下敦弘監督『マイ・バック・ページ
1月31日(火)12:30〜12:50 上野千鶴子『東風』
22:20〜22:50 塚本公雄(日大全共闘映画班)
(上映後のトークショー)
『日大闘争』『続日大闘争』
2月 1 日(水)19:20〜19:50 若松孝二監督『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』
2月2日(木)17:55〜18:15 大津幸四郎パルチザン前史
2月3日(金)20:50〜21:10 笠井潔『圧殺の森-高崎経済大学闘争の記録-』
※ スケジュール、ゲスト等は、変更する場合がございます。予めご了承ください。
尚、ゲストによるトークショーは『日大闘争』『続日大闘争』を除き、すべて上映前を予定しております。
オーディトリウム渋谷
【劇場案内】オーディトリウム渋谷(136席)
      東京都渋谷区円山町1-5 KINOHAUS2F
【お問い合わせ】03-6809-0538
【アクセス】京王井の頭線神泉駅下車、徒歩6分/渋谷駅から徒歩8分

以上が概要です。

今回の連載原稿で取り上げた中では、土本典昭のDVD未発売の『パルチザン前史』がラインナップに入っています。そのほかにも、小川紳介は『圧殺の森』が上映されますね。よろしければ、劇場でご覧になって、論文の当該の論述を読んでいただきたいと思います。まさに「対抗的公共圏」の映画祭です。また、佐藤信氏の『60年代のリアル』や、古市憲寿氏の『絶望の国の幸福な若者たち』が話題となっている中、68年をテーマにした映画祭というのは、なかなかタイムリーなのではないでしょうか。
また、会期中には、上記のように、何人か豪華なゲストも来場される予定ですが、その中の笠井潔さんは、差し出がましく僕が企画者の後輩学生たちに紹介したという経緯もあります。
そんなわけで、月末は、今回の連載原稿とも併せて、ぜひこちらの渋谷の映画祭にも足を運んでみてください!
僕も何回か行く予定でいます。