牧田真有子「踏み越えた人たち」―連載〈泥棒とイーダ〉第8回

激しくも繊細に全身でリズムをとりながら、イヤホンからの音楽に陶酔している彼に切り出すのは、つらい仕事だった。 「沼男、すごく言いにくいんだけどリュックの底からお茶ふうのものが流れ出てる。いま流れ終わるとこ」 彼は「おお亜季」と言いながらあわ…

牧田真有子「「個性の目録化、始まる」―連載〈泥棒とイーダ〉第7回

個性提供者第一号として、私はふだん利用しない系統のバスを乗り継いでその街に着いた。待ち合わせ場所は小学校の前だ。土曜日なので校門はとざされている。門扉は塗り替えたばかりらしくきつい水色だった。風が吹くたび黄土色の落ち葉が、乾燥した波のよう…

牧田真有子「彼の見知らぬ顔」―連載〈泥棒とイーダ〉第6回

天へとまっすぐ伸びる竹藪の底に美術館は沈んでいる。平らな屋根の二階建てだ。菱形の壁タイルに不規則にはめ込まれたガラスブロックは透明なのに重たげで、時が静止した館内を隠しているような感じがした。だが一歩内部に入ると、温かくてすみずみまで手入…

牧田真有子「ここに居てもいい資格」―連載〈泥棒とイーダ〉第5回

翌朝史乃と顔を合わせてようやく、そういえば彼女はどこまで見ていただろうと思った。あのあと、対岸の手すりにぶつかるようにして摑まった私が、腰を抜かしそうになりながら柵の内側へ戻ると彼女の姿はなかったのだ。足ががくがくしてまともに歩けなかった…

雅雲すくね「ゆでだこ」―連載〈蛸親爺〉第10回

「たーこ、たーこ。たーこ、たーこ、今日も日が暮れるねえ。ゆくりなく川は流る、か」 河原の堤を丈の低い草が覆い、群がる薄が風の吹くまにまにうねりを打って揺れている。夕日に向かっては、雁が群れをなして去る。蛸は土手の腹に寝そべり、そよ吹く風に靡…

雅雲すくね「民衆食堂百万年」―連載〈蛸親爺〉第9回

裏町の短い商店街、民衆食堂と墨で大書きにした暖簾の下では、木枠の入口に曇りガラスをはめ込んで、一枚には仮名で『めし』、一枚には真名で『酒』と派手に書いてある。両脇には大小の植木が鉢も見えぬほどに寄せて置かれているのが、夕日影を受け赤く染ま…

牧田真有子「この向こう側へ」―連載〈泥棒とイーダ〉第4回

文化祭当日はこれといった理由もなく学校にたどりつけなかった。イベントの一環として美術部がワークショップを行うとかで、部員である史乃とは顔を合わさずに済む日だったのだが、私の自転車はくねくねと遠回りをつづけた挙句、あらぬ方角へ走り去った。十…

雅雲すくね「白枠に並ぶ」―連載〈蛸親爺〉第8回

駅前のハンバーガー屋の窓ガラスに蛸がへばりついている。窓越しに客の若い男が坐っている。こちらは、盆に敷かれたチラシに目を注いだり、目をつむったりしている。 蛸が窓を叩きだした。若者の眼が蛸を見定めた。口では氷を嚙み砕いている。 「おう、小川…

雅雲すくね「萬屋金亀堂」―連載〈蛸親爺〉第7回

「たーこ、たーこ。たーこ、たーこっと、今日は照り返しがかなわねえ。暑気あたりに効くビール」 土手の上にほのめき立つ陽炎を透かした向こうから、蛸が来る。犬を伴っている。 「わん」と秋田犬が応じる。 「おめえさんも暑くはねえかい」と土手際の店の前…

玉川重機「草子ブックガイド 早稲田文学編」第6回、公開!

現在配布中の「早稲田文学フリーペーパーWB」vol.25に掲載している、玉川重機「草子ブックガイド 早稲田文学編」第6回を公開します。 今号は、J・L・ボルヘス「バベルの図書館」。ボルヘスが書き上げた無限につづく迷宮のような図書館を、玉川さんが描く…

牧田真有子「Just for Fun」―連載〈泥棒とイーダ〉第3回

腕を伸ばしすぎて崩した体のバランスはどうにか持ち直したが、もがいた拍子に、ブレザーの袖口が水面をかすめた。あと少しだ。池の中から突き出す岩に片手片足を掛け、空いている手を思いきり伸ばして、水中でゆらゆらと歪曲していた袋を引き上げる。低くし…

雅雲すくね「奉納の踊り」―連載〈蛸親爺〉第6回

『カットのみ二千円 親切丁寧』と床屋に出された看板を、着流しのお爺さんが腕を組んで見下ろしている。 商店には軒並に提燈が吊られ、祭囃子が晴れた空へ上がって、浴衣の小さい人が万灯を持って小刻みに駆けて行く。 店先には空の台が出され、脇に鉄板やガ…

牧田真有子「おざなり少女と刺青の男」―連載〈泥棒とイーダ〉第2回

雨音に金属の響きがまざる。鉄のはしごを傾げたような簡潔な造りの階段を佐原さんは降りてきた。細いというよりぎゅっと固めたような瘦せ方で、芯に重みがある。薄茶色いズボンの裾をたくし込んだ黒の長靴が、私の頭の高さへ至り、太ももの位置に達し、私の…

渡邉大輔「映像圏の「公共性」へ」―連載〈イメージの進行形〉最終回・後篇

それでは、以上のような現代社会における「対抗的公共圏」や「生存のためのサンディカ」の可能性を、冒頭のVPF問題も含めた現代の映像圏システムにおいていかなる形で生み出していくべきだろうか。これは、やはり途方もない問いだというべきだし、また、…

雅雲すくね「地下鉄道」―連載〈蛸親爺〉第5話

「たーこたーこ、たーこたーこ」と蛸が午過ぎに町医者の前を行く。 口を絞って手に提げた頭陀袋は、ウイスキー瓶の形に膨らむ。頸には包帯を巻いている。 青年が医院の戸から、短い草のまじる庭の砂利を踏みつつ、開け放たれた門に下って来た。 出たところで…

雅雲すくね「山の奥」―連載〈蛸親爺〉第4話

「たーこたーこ、たーこたーこ」と蛸が午過ぎに町医者の前を行く。 口を絞って手に提げた頭陀袋は、ウイスキー瓶の形に膨らむ。頸には包帯を巻いている。 青年が医院の戸から、短い草のまじる庭の砂利を踏みつつ、開け放たれた門に下って来た。 出たところで…

新連載! 牧田真有子〈泥棒とイーダ〉―第1回「命の恩人は黒装束!?」

「なつかし」 「何だっけ。ノスタルジア的な意味とは違うんだったよね。待って、思い出せそう」 私は目を閉じて指で眉間をもんでみた。昨日授業で覚えたはずの古文単語は、たしかにまだ遠くまでいっていない。どちらかといえば、目の前にある、裏返ったカー…

渡邉大輔「映像圏の「公共性」へ」―連載〈イメージの進行形〉最終回・中篇

何にせよ、筆者としては、この二つの側面をできる限り相互に照らし合わせながら、その中間に想定されうるある種の「社会的領域」を映像圏的世界と結び合わせたいと考えている。それでは、そもそも公共性あるいは公共圏なるものを映画や映像の領域において、…

雅雲すくね「二つ並んだ蛸頭」―連載〈蛸親爺〉第3話

車の音が塊となって響き続ける大通り。銀杏並木の枝に烏がとまって一つなく。乗合バスの停留所に蛸が立つ。 蛸は頭に黒いネクタイを巻き、こめかみから垂らせている。 「たーこたーこ。たーこたーこ。来ねえバスだな。行き先違いのバスばかりだ。日曜日の四…

渡邉大輔「映像圏の「公共性」へ」―連載〈イメージの進行形〉最終回・前篇

2010年7月から断続的に続けてきた本連載は、筆者が2000年代の終わり頃から中心的な仕事として取り組み始めた映画/映像文化論のとりあえずの全体的な枠組みを描き上げることを目的とするものだった。そして、そこで掲げた問いとは、今日のグローバル資本主義…

雅雲すくね連載小説「蛸親爺」第1話、第2話を公開!

「WB」vol.24に掲載し、ひそかに熱く迎えられている雅雲すくね氏による小説「蛸親爺」が、Wasebun on Web上で連載開始! 初回の更新は、2話連続公開です。 ある日突然、蛸になってしまった中年男。これが少女で、イカになったのなら人気者になれたろうに……

玉川重機「草子ブックガイド 早稲田文学編」特別版、公開!

現在配布中の「早稲田文学フリーペーパーWB」vol.24に掲載している、玉川重機「草子ブックガイド 早稲田文学編」特別版を公開します。 今号は『草子ブックガイド』単行本第1巻刊行記念、4ページに増量してお届けします。単行本は、古本屋・青永遠屋(おと…

渡邉大輔氏登壇イベントのお知らせ

wasebun on webで「イメージの進行形」を連載中の渡邉大輔さんが司会として参加するイベントが今月行われます。第21回映画祭TAMA CINEMA FORUM(会期2011.11.19-11.27)の11月23日の上映会後のトークセッションです。「嘘の向こうの美ちなる方へ」として行わ…

about the charity for the East Japan Earthquake

On behalf of the East Japan earthquake that occurred on March 11th 2011, Waseda Bungaku has organized a charity project that has gathered free of charge, newly published stories by contemporary Japanese writers. These publications are issu…

渡邉大輔「フィルム・ノワールの現代性」―連載〈イメージの進行形〉第5回

今回はまず、新たな主題に入る前に、過去二回の映像=身体の問題系をめぐって、前回の最後につけ加えようと思いながらも、筆者の配分ミスで取りこぼしてしま�た一つの注目すべき論点をなるべく簡潔に補足しておきたいと思う。 行論を再度繰り返すならば、初…

「WB」vol.23ウェブ公開

早稲田文学4号刊行記念として、通常より早く「WB」vol.23(2011年6月発行)をウェブ公開します。 WB23ダウンロード(PDF[11.6MB])

西田亮介「ネットワークの記憶を紡ぐ」―連載〈方法としてのコミュニティ〉第3回

2011年3月11日、未曾有の大震災が東北を襲った。それから3カ月がたち、いまや歴史にその名を刻むことが確定的となった。いつしか首都圏では大きな余震も収まり、特番態勢もほぼ終息した。しかし最近になって次々に露呈する当初見積もりをはるかにこえる被害…

渡邉大輔「からだが/で観る映像史」―連載〈イメージの進行形〉第4回

前回、私たちは、現代の映像環境の歴史的帰趨を跡づけるために、映画史研究が注目する、いまから100年以上も前、「初期映画」と呼ばれる時代の映画の備える表象システムと、かたや「ポスト古典的」とも称される80年代以降の現代映画、そして、ニコニコ動画か…

チャリティ・コンテンツ 牧田真有子「合図」

書き下ろし短篇 「合図」(全27頁/本文26頁)の購入はこちら。 (早稲田文学編集室公式サイトhttp://www.bungaku.net/wasebun/charity2/manage/stdx.cgi) ※リンク先のページ上部にある「商品カテゴリー」の「書き下ろしコンテンツ」を選択、「移動」ボタン…

チャリティ・コンテンツ 中森明夫「東京トンガリキッズ2011」

書き下ろし短篇 「東京トンガリキッズ2011」(全32頁/本文31頁)の購入はこちら。 (早稲田文学編集室公式サイトhttp://www.bungaku.net/wasebun/charity2/manage/stdx.cgi) ※リンク先のページ上部にある「商品カテゴリー」の「書き下ろしコンテンツ」を選…