牧田真有子「Just for Fun」―連載〈泥棒とイーダ〉第3回

 腕を伸ばしすぎて崩した体のバランスはどうにか持ち直したが、もがいた拍子に、ブレザーの袖口が水面をかすめた。あと少しだ。池の中から突き出す岩に片手片足を掛け、空いている手を思いきり伸ばして、水中でゆらゆらと歪曲していた袋を引き上げる。低くした頭から髪一本がひっそりと落ち、緑色の池の面に載った。その下を黒い魚が泳ぎぬけて
いく。岩肌を押して体勢を戻す。
 心臓はまだこわばった速度で音を立てていた。十一月の池に落ちたら始末に負えない。学校で制服から着替えうるものなんて体操着しかないし、その体操着こそ今の今まで寡黙に水底へ沈んでいたのだから。
 あれ以来史乃からのあけすけな攻撃は続いていて、今日は体育の授業の直前に体操着が忽然と行方をくらましたのだった。放課後は本来なら、文化祭のための環境問題パネル作りに参加すべきなのだが、私は自分の持ち物を捜して校内を徘徊していることが多い。盗られたものが金銭のときだけは、捜しても無駄なので、環境問題について調べものをする人たちの末席に連なる。
 裏庭は大勢が口をつぐんでいるようなみっしりした静けさに満ちていた。水を存分に含んだジャージとTシャツを取り出して両手で絞り、池の縁に並べていく。
「亜季ー、土曜って空いてるー?」
 いきなり声が降ってきた。見上げると三階へいたる階段の踊り場から沼男がふさふさ頭を突き出している。
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牧田真有子さんによる〈泥棒とイーダ〉第3回「Just for Fun」をお届けします。


 勝見亜季はふつうの高校1年生。命の恩人の佐原さんに突き放され、ふさぎ込み、何もかもが面倒に感じられてしまう。
 そんな亜季を見て、陰湿な攻撃をはじめる同級生の史乃。そこには、ふたりの中学生のときに起きた事件が関わっていた。
 一方、亜季の学校では文化祭準備の真っ最中。おざなり少女の亜季も、クラスメイトに言われるままに参加する。同級生の沼男に誘われ、エコイベントに取材へ行くことに。
 亜季自身の気持とは裏腹に、外から彼女の世界は変えられていく。
※この連載は基本的に、隔月でお届けします。

牧田真有子(まきた・まゆこ)
80年生。「椅子」で「文學界」新人賞奨励賞を受けデビュー。人が抱く寄る辺なさと、世界が孕む不確かさを、丁寧にすくいあげ描きとる。主な作品に「夏草無言電話」(「群像」09年5月号)、「予言残像」(「群像」10年6月号)、「今どこ?」(「WB」20号)、「合図」(「早稲田文学記録増刊 震災とフィクションの“距離”」)など。