雅雲すくね「萬屋金亀堂」―連載〈蛸親爺〉第7回

「たーこ、たーこ。たーこ、たーこっと、今日は照り返しがかなわねえ。暑気あたりに効くビール」
土手の上にほのめき立つ陽炎を透かした向こうから、蛸が来る。犬を伴っている。
「わん」と秋田犬が応じる。
「おめえさんも暑くはねえかい」と土手際の店の前に出た縁台に腰を下ろした。
『萬よろず何でもあり〼 萬屋金亀堂』と札の下がった店先には蛸の腰をかけた縁台、大小の鉢植えが群がり置かれ、藍の水瓶では金魚が一跳ねした。開け放ったガラス戸の内は、ビールやサイダー瓶の並ぶ冷蔵庫、壁際の棚にはちり紙、洗濯石鹼などが積まれ、正面の台の上には、乾物や駄菓子などが置いてある。『甘酒 稲荷鮓 飴湯アリ〼』と張り出された下には、柱に打った釘から鰹節が下がる。奥にはテーブルが並んで扇風機が伸ばした頸を振っている。
奥から五十恰好の男が顔を出した。白い前掛けをつけている。
「ああ、蛸の旦那。いらっしゃい」
「おう、今日も天気がいいな」とガラス戸の蔭から頭を出した。
「そこじゃ日差しがあるでしょ。店のなかへ坐っちゃあ」
「そうだな」
蛸は簡単な造りのテーブルに坐り、麦藁帽子を脇の椅子に載せた。犬もついてきて土間に蹲る。
萬屋が冷蔵庫のガラス戸を開けておしぼりを出した。
「やっぱりこういう日には、白玉に赤砂糖をかけた物でも食いたいが、まあ、ビール。義理じゃないよ。おめえは何飲む」と犬に聞く。
「わん」
「コーヒー牛乳かい。犬がそんなものを飲むとは知らなかった。あと、こいつにはコーヒー牛乳な」と蛸は犬を指して、萬屋へ注文した。
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雅雲すくねさんによる〈蛸親爺〉第7回「萬屋金亀堂」をお届けします。


ある日突然、蛸に変身してしまった親爺。家族に冷たくあしらわれ追い出されて、現在は、月3万円の下宿(蛸壺)暮らし。とはいえ、人間語も喋れるし、我が身の異変を嘆くことはありません。毎日くねくね踊り町を練り歩きながら、何だか楽しそう。
蒸し暑い夏のさなか、親爺が立ち寄るのは街のよろず屋さん。こんな暑い日には一杯、って暑くなくても呑んでいるのですが…。
こんかいの見所は、親爺といっしょにいる秋田犬。親爺は蛸だけに、犬とも会話ができるらしくすっかり仲良しの様子。二匹のやりとりが微笑ましい。
蛸、犬、人間が軒下の縁台で涼むすがたをスケッチします。
※この連載は基本的に、毎月更新でお届けします。

雅雲すくね(がうん・すくね)
71年生。「不二山頂滞在記」で第21回早稲田文学新人賞を受賞。脱力系の文章と奇想が魅力。6年以上の冬眠期間を経て、本作の連載開始。