西田亮介「ネットワークの記憶を紡ぐ」―連載〈方法としてのコミュニティ〉第3回

 2011年3月11日、未曾有の大震災が東北を襲った。それから3カ月がたち、いまや歴史にその名を刻むことが確定的となった。いつしか首都圏では大きな余震も収まり、特番態勢もほぼ終息した。しかし最近になって次々に露呈する当初見積もりをはるかにこえる被害の発覚は、公開情報が信じるに足るものかという判断さえ難しくしている。地震原発の安全性、放射性物質に関わる情報量が爆発しひとびとを半強制的に判断停止に追い込んでいるようにも見える。
 国内の主要な観光地や、つい半年前まで諸外国からの観光客でごった返していた都内の百貨店では、未だ閑古鳥が鳴いており、陳列が回復したはずのスーパーの食品棚もよくよく見ると、先日まで国内産が当たり前だった商品の産地が海外産に置き換わっている。このように薄皮一枚はがすと確実に今までとは異なった基層が姿を現しており、「日常回帰」はあくまでもごくごく表面上のできごとに過ぎないのだが、早くも悲劇は他のひとびとの日常生活の実感から切断され、ひとつひとつ確実に忘却されつつある。現代社会の日常がもたらす莫大な情報が、震災の記憶を早くも埋め尽くそうとしているのだ。
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 今回はタイトルの通り、ソーシャルネットワークが当然となった環境で、人々のもつ記憶について考えます。
 この連載は半年以上ぶりの更新となりますが、その間も西田さんには「WB」vol.22で番外篇となる論考を寄せていただきました。「あるIT起業家が始めた寄付とその広がり」(WB22 p.14、PDF、14.4MB)という、今年はじめに話題となったタイガーマスク現象が、ソーシャルメディアを介してどのような広がりを見せたかを追う論考です。震災を経て「タイガーマスク」という名称は忘れ去られつつありますが、そこで盛り上がりを見せた寄付運動が現在にも続いているのは後述の支援プロジェクトなどにもある通り。あわせてご覧ください!
 さて、震災の直後から、Twitterをはじめとしたソーシャルメディアが効果を発揮したことについては、すでにさまざまな角度から検証されています。この危機に際して、横のつながりが緊密に張り巡らされていきました。
 それに対して、今回の論考が主題とするのは、記憶の継承、つまり縦のつながりです。
 これまでさまざまな組織と協働し、ノウハウの蓄積について考えてきた西田さんから、実感のこもった提案。まだ「アイディア」段階ですが、西條剛央氏らによる「ふんばろう東日本支援プロジェクト」などを例に、考えていきます。