渡邉大輔

渡邉大輔「映像圏の「公共性」へ」―連載〈イメージの進行形〉最終回・後篇

それでは、以上のような現代社会における「対抗的公共圏」や「生存のためのサンディカ」の可能性を、冒頭のVPF問題も含めた現代の映像圏システムにおいていかなる形で生み出していくべきだろうか。これは、やはり途方もない問いだというべきだし、また、…

渡邉大輔「映像圏の「公共性」へ」―連載〈イメージの進行形〉最終回・中篇

何にせよ、筆者としては、この二つの側面をできる限り相互に照らし合わせながら、その中間に想定されうるある種の「社会的領域」を映像圏的世界と結び合わせたいと考えている。それでは、そもそも公共性あるいは公共圏なるものを映画や映像の領域において、…

渡邉大輔「映像圏の「公共性」へ」―連載〈イメージの進行形〉最終回・前篇

2010年7月から断続的に続けてきた本連載は、筆者が2000年代の終わり頃から中心的な仕事として取り組み始めた映画/映像文化論のとりあえずの全体的な枠組みを描き上げることを目的とするものだった。そして、そこで掲げた問いとは、今日のグローバル資本主義…

渡邉大輔氏登壇イベントのお知らせ

wasebun on webで「イメージの進行形」を連載中の渡邉大輔さんが司会として参加するイベントが今月行われます。第21回映画祭TAMA CINEMA FORUM(会期2011.11.19-11.27)の11月23日の上映会後のトークセッションです。「嘘の向こうの美ちなる方へ」として行わ…

渡邉大輔「フィルム・ノワールの現代性」―連載〈イメージの進行形〉第5回

今回はまず、新たな主題に入る前に、過去二回の映像=身体の問題系をめぐって、前回の最後につけ加えようと思いながらも、筆者の配分ミスで取りこぼしてしま�た一つの注目すべき論点をなるべく簡潔に補足しておきたいと思う。 行論を再度繰り返すならば、初…

渡邉大輔「からだが/で観る映像史」―連載〈イメージの進行形〉第4回

前回、私たちは、現代の映像環境の歴史的帰趨を跡づけるために、映画史研究が注目する、いまから100年以上も前、「初期映画」と呼ばれる時代の映画の備える表象システムと、かたや「ポスト古典的」とも称される80年代以降の現代映画、そして、ニコニコ動画か…

渡邉大輔「「映像圏」の考古学」―連載〈イメージの進行形〉第3回

この連載評論で筆者が考えているのは、情報化時代の映像論/映画論というべきものである。例えば、つい最近でも、「デジタル時代」の映画をテーマにした日本語の映画研究の書物がようやく目につくようになる一方、「ライズX」(昨年六月)、「シネマ・アン…

渡邉大輔「Twitterの「ポジティヴィテ」

この連載が主に目指しているのは、私たちがいま、いかなるタイプの複製イメージ=映像の生育システムを手にしつつあるのかを探究することである。その検討にあたって、ひとまず本連載では、映像をめぐる近年の「情報化」や「モバイル化/ネットワーク化」の…

渡邉大輔「擬似ドキュメンタリー、ニコニコ動画の映像美学」

本連載の主な主題は、今日の社会における複製イメージ(映像)と、それが担う文化的想像力の動態と機能のひとつの局面を、映画を中心とした具体的なコンテンツや歴史的経緯の紹介と分析を適宜織り交ぜながら示すことにある。連載一回目の今回は、そのための…

渡邉大輔「『イエローキッド』の言語ゲーム」

真利子哲也(まりこ・てつや)の待望の長編監督デビュー作『イエローキッド』(〇九年)は、彼の東京藝術大学大学院映像研究科修了制作作品として製作され、すでに国内外の場で高い評価を受けている。この八一年生まれの若手作家についてはすでに簡単に触れ…