渡邉大輔「「映像圏」の考古学」―連載〈イメージの進行形〉第3回

 この連載評論で筆者が考えているのは、情報化時代の映像論/映画論というべきものである。例えば、つい最近でも、「デジタル時代」の映画をテーマにした日本語の映画研究の書物がようやく目につくようになる一方、「ライズX」(昨年六月)、「シネマ・アンジェリカ」(同一一月)、「恵比寿ガーデンシネマ」(今年一月)、「シネセゾン渋谷」(同二月)……といった都内の有名なミニシアター系映画館が急激な勢いで閉館している。こうした映画館文化の急速な衰退もまた、情報化時代の一つの兆候だと思わずにはいられない。いずれにしても、筆者が映像圏と呼ぶ現代映像文化の一部を占める興味深い表象モデルやリアリティは、社会の「ポストモダン化」が押し進めるグローバル資本主義や情報インフラの拡大に相即した、きわめて今日的な文化現象――社会学のイディオムを用いれば「社会的事実」――として看做しうるものである。
つづきをダウンロード(PDF)

from editor

 気鋭の若手批評家・渡邉大輔の連載〈イメージの進行形〉第3回「「映像圏」の考古学」をアップします。これまでモバイルカメラやニコニコ動画ツイッターウィキリークスといった先端技術と映像(文化)の関係を論じてきたこの連載、ここで一転、過去に遡ってゆきます。
 「映画」というと、ふだん観ている「物語映画」を思い浮かべがちですが、その前には、猥雑ともいうべき「映画」が無数に作られていました。活動弁士によって物語は書き換えられ、ディズニーランドも驚きのアトラクション性に満ち、観客たちが大騒ぎして楽しむ「映画」……ぼくたちの知る「映画」とは別物の、しかし魅力的な映画史が語られます。
 そんな初期映画と映像圏の関連とは? つづきは本文で!
 今回の論考に関連する動画はこちら。