渡邉大輔「映像圏の「公共性」へ」―連載〈イメージの進行形〉最終回・前篇

 2010年7月から断続的に続けてきた本連載は、筆者が2000年代の終わり頃から中心的な仕事として取り組み始めた映画/映像文化論のとりあえずの全体的な枠組みを描き上げることを目的とするものだった。そして、そこで掲げた問いとは、今日のグローバル資本主義ソーシャル・ネットワーキングの巨大な社会的影響を踏まえた、これまでにはない新たな「映画(的なもの)」の輪郭を、映画史及び視覚文化史、あるいは批評的言説を縦横に参照しながらいかに見出すかという試みだ􂓃た。つまり、筆者が仮に「映像圏Imagosphere」と名づける、その新たな文化的地平での映像(複製イメージ)に対する有力な「合理化」の手続き―システム論ふうに「複雑性の縮減」といい換えてもよいが―の内実を、主に「コミュニケーション」(冗長性)と「情動」(観客身体)という二つの要素に着目しつつ具体的に検討してきたわけである。
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 一年半にわたって続いたこの連載も、最終回を迎えます。
 その間には、ニコニコ動画ツイッターの普及と盛り上がりがあり、他方で社会的な事件としては、尖閣諸島中国漁船衝突映像流出事件、アラブの春、そして3・11東日本大震災などがあり、ネットワーク上を大量の画像・動画が流通し、これまでにないインパクトを与えつづけました。その意味で、一連の流れと並走して、ネットワーク上の動画の効果と美学を分析してきたこの連載は、とても重要な転換点を記していると言えるでしょう。
 そこで、最終回のテーマは「映像圏の公共性」。
 上記の出来事を思い起こせばわかる通り、この数年で、インターネット登場以降に変わりつづけてきた「公」のあり方がさらにドラスティックな変容を遂げた印象があります。それでは、映像(圏)から公共性をどのように見定めることができるのか? 具体的には、いま話題のVPF問題から考えていきます。
 VPF(Virtual Print Fee)とは、近年急速に拡大している「ディジタルシネマ」の映画館への普及と配給・上映をより円滑に行うために、アメリカの映画産業で考え出された新しい映画配給・興行の枠組みです。詳しくは本論に記されていますが、これからの映画の製作・消費のあり方を大きく変えていくような枠組みです。そこにどのような現在と未来が見えるのか?
 3度に分けてお送りする最終回の前篇では、この問題を詳しく論じます。扱う映像作品は、富田克也監督「国道20号線」「サウダーヂ」です。
中篇・後篇は、2012年1月上旬・下旬に公開予定。
(この連載では、言及される映画を観たことがない人でも楽しめるよう、各種動画へのリンクを貼っています。作品名をクリックしてみてください。)


渡邉大輔(わたなべ・だいすけ)
映画研究者・批評家。日本大学芸術学部非常勤講師。専攻は日本映画史。共著に『探偵小説のクリティカル・ターン』『社会は存在しない』『サブカルチャー戦争』(以上、南雲堂)、『ゼロ年代+の映画』(河出書房新社)、『floating view  郊外からうまれるアート』(トポフィル)、『日本映画史叢書15 日本映画の誕生』(森話社)。新刊共著『見えない殺人カード 本格短編ベスト・セレクション』(講談社文庫)が一二年一月発売予定。
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