玉川重機「草子ブックガイド 早稲田文学編」特別版、公開!

現在配布中の「早稲田文学フリーペーパーWB」vol.24に掲載している、玉川重機「草子ブックガイド 早稲田文学編」特別版を公開します。
今号は『草子ブックガイド』単行本第1巻刊行記念、4ページに増量してお届けします。単行本は、古本屋・青永遠屋(おとわや)の店長や岬くんたちのある一日を描いたおまけマンガを収録、カバーの透かしがとっても素敵。みなさん、もう手に入れたでしょうか(詳細はこちら)。

草子ブックガイド(1) (モーニング KC)

草子ブックガイド(1) (モーニング KC)


今回は「メイキング・オブ・草子ブックガイド」、草子の「日常」がちょっとだけ見られます。
草子が新しいブックガイドを書き上げて向かうのは、担当編集者の待つ講談社(笑)。編集者に連れられ、謎のコスプレパーティに突入、一体どうなることやら…。あとは読んでのお楽しみ!

玉川重機「草子ブックガイド 早稲田文学編 特別版」(PDF)


この特別版には、付録として〈ブックガイド風しおり〉がついています。なんと、ラミネート加工までしてくださった読者のかたもいらっしゃいます。
ぜひ活用してください! 作り方はこちら


また、WBvol.18の表紙を飾った『草子ブックガイド』の生原画を「Yahoo!オークション」で出品しています(11月10日22時0分まで)。9日17時30分現在、32人のかたがご入札、15,500円となっています! いよいよ明日まで、ぜひご入札ください。詳しくはこちらhttp://page3.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/c320286029?u=waseda_bungaku_charity

渡邉大輔氏登壇イベントのお知らせ

wasebun on webで「イメージの進行形」を連載中の渡邉大輔さんが司会として参加するイベントが今月行われます。第21回映画祭TAMA CINEMA FORUM(会期2011.11.19-11.27)の11月23日の上映会後のトークセッションです。

「嘘の向こうの美ちなる方へ」として行われるトークのパネラーは、『劇場版 神聖かまってちゃん ロックンロールは鳴り止まないっ』の入江悠監督、『嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん』の瀬田なつき監督、『すべては「裸になる」から始まって』の森下くるみ氏という、豪華なメンツ! 必見です!!
トークの前には、『嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん』、『劇場版 神聖かまってちゃん ロックンロールは鳴り止まないっ』を上映するそうです。


詳細は下記の通りです。
■第21回映画祭TAMA CINEMA FORUM 嘘の向こうの美ちなる方へ


■日時 11月23日(水・祝)
15:15−17:05 嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん
17:15−18:44 劇場版 神聖かまってちゃん ロックンロールは鳴り止まないっ
18:50−19:30 トーク ゲスト:入江悠監督、森下くるみ氏、瀬田なつき監督、渡邉大輔氏


■会場 ベルブホール(〒206-0025 多摩市永山1−5 多摩市立永山公民館)
小田急多摩線/京王相模原線永山駅より徒歩2分。ベルブ永山5階


■予約受付中 詳しくは、TAMA CINEMA FORUM公式サイトhttp://www.tamaeiga.org/2011/program20.html


■上映作品:
嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん
2010年/2010「嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん」製作委員会製作/角川映画配給/1時間50分 監督=瀬田なつき 原作=入間人間 撮影=月永雄太 音楽=木下美紗都 主題歌=柴咲コウ 出演=大政絢染谷将太田畑智子鈴木京香
▼ストーリー
僕・みーくん(染谷)の幼なじみ、まーちゃん(大政)。とっても可愛いけど、乱暴でワガママで、壊れた女の子。僕はキミを守る。だって、世界で一番キミを××してるから……。嘘だけど。
僕とまーちゃんは、10年前の誘拐監禁事件の被害者同士。不穏な連続殺人事件が起きている街で僕らは再会し、一緒に暮らすことにした。そんなとき、精神科医の先生に聞いた。殺人事件を捜査する刑事が、僕らを容疑者扱いしてるらしい……。


劇場版 神聖かまってちゃん ロックンロールは鳴り止まないっ
2011年/2011「劇場版 神聖かまってちゃん」製作委員会製作/SPOTTED PRODUCTIONS配給/1時間29分 監督・脚本・編集=入江悠 撮影=三村和弘 音楽=池永正二 出演=二階堂ふみ森下くるみ劔樹人神聖かまってちゃん(の子、mono、ちばぎん、みさこ)
▼ストーリー
神聖かまってちゃんの大規模なライブまであと一週間。プロ棋士を目指す女子高生(二階堂)、ショーパブで働くシングルマザー(森下)、神聖かまってちゃんのマネージャー(劔)。別々の場所で様々な悩みを抱える彼らのくすぶった心に神聖かまってちゃんの歌が着火し、それぞれの運命が走り出す。


■出演:
入江 悠 監督 Irie Yu
1979年生まれ。映画監督。『SRサイタマノラッパー』で第50回日本映画監督協会新人賞、ゆうばり国際ファンタスティック映画祭グランプリなど。ほかの代表作に『SRサイタマノラッパー2 女子ラッパー☆傷だらけのライム』、『劇場版 神聖かまってちゃん ロックンロールは鳴り止まないっ』など。シリーズ最終章となる最新作『SRサイタマノラッパー3 ロードサイドの逃亡者』は来春公開予定。


森下 くるみ 氏 Morisita Kurumi
1979年生まれ、秋田県出身。現在の活動は、短編小説、映画の脚本、月刊雑誌や携帯配信用のコラムなど、執筆業が中心。著書に「すべては「裸になる」から始まって」(講談社文庫・映画化が決定、来春公開)、「らふ」(青志社)、短編収録作として「七つの濡れた囁き」 (新潮文庫)、「華恋絵巻」(宝島社文庫)がある。12年冬に、講談社文庫から短篇集が出版される予定。


瀬田 なつき 監督 Seta Natsuki
1979年生まれ、大阪府出身。東京芸術大学大学院映像研究科映画専攻修了。主な監督作に『彼方からの手紙』(2008年)、『あとのまつり』(09年)などがある。11年1月にメジャー映画長編作品『嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん』、10月に『5windows』(出演:中村ゆりか染谷将太斉藤洋一郎、長尾寧音)が上映された。


渡邉 大輔 氏 Watanabe Daisuke
1982年生まれ。映画史研究者・批評家。現在、日本大学藝術学部非常勤講師。「群像」「ユリイカ」などに寄稿。共著に「日本映画史叢書15 日本映画の誕生」(森話社、近刊)「ゼロ年代+の映画」(河出書房新社)「本格ミステリ08」(講談社)「floating view――郊外からうまれるアート」(トポフィル)などがある。早稲田文学ウェブサイトで「イメージの進行形――映像環境はどこに向かうか」を連載中。


渡邉大輔さんのブログもぜひご覧ください!
http://d.hatena.ne.jp/daisukewatanabe1982/20111108/1320705092


連載「イメージの進行形」次回は、12月中に公開予定です。ご期待ください!

about the charity for the East Japan Earthquake

On behalf of the East Japan earthquake that occurred on March 11th 2011, Waseda Bungaku has organized a charity project that has gathered free of charge, newly published stories by contemporary Japanese writers. These publications are issued domestically through e-book and all sales have been donated to the beneficial use of the disaster victims.

Literary works have been contributed by Hideo Furukawa, Kazushige Abe, Mieko Kawakami, Toh EnJoe, Shin Fukunaga, Yasuhisa Yoshikawa, Jungo Aoki, Aoko Matsuda, Sayaka Murata, Fuminori Nakamura, Akio Nakamori, Furukuri Kinoshita, Mayuko Makita, Maki Kashimada & Kiyoshi Shigematsu. Author profiles, contributed short stories and essays can be found at the following URL (All stories are downloadable in PDF format).

Downloaded PDF files will be issued for a limited period of time until March 2012. Posting URLs through e-mail or copying issues onto secondary distribution is permitted. (All sales, commercial enterprises and reproduction on any printed media by third parties other than the publisher, the writer or individuals whose permissions are granted by the writer, is prohibited. In addition, all data alteration is prohibited).

Readers of these stories would be greatly appreciated for voluntary donations to the Japanese Red Cross Society bank account, global Red Cross Societies and to organizations supporting natural disaster relief. In case of data transfer, we suggest you send us notification beforehand.


How to purchase the Waseda Bungaku charity contents(the Waseda Bungakukai Web site)

渡邉大輔「フィルム・ノワールの現代性」―連載〈イメージの進行形〉第5回

 今回はまず、新たな主題に入る前に、過去二回の映像=身体の問題系をめぐって、前回の最後につけ加えようと思いながらも、筆者の配分ミスで取りこぼしてしま�た一つの注目すべき論点をなるべく簡潔に補足しておきたいと思う。
 行論を再度繰り返すならば、初期映画から現代の映像コンテンツにいたるまで、主に二〇世紀以降の複製イメージ文化の一部では、「観客身体」の微細な生理的反応システムがひとびとのイメージ受容のプロセスにきわめて重要な意味を担�っていた。そして、「物語」の機能を重用する古典的映画の表象体制を初期映画期同様に払拭した現代映画の生育環境――すなわち、「映像圏」の今日的状況においては、それはとりわけ以前よりも中心的な役割を担いつつあるのではないか、と論じてきた。過去二回の論述では、ひとまずそのことを個別具体的なトピックを通じて随時示してきたわけだが、ここでそうした古今にわたる映像圏システム独特の表象モデルを大きな歴史的視野を以て抽象している言説にも触れて議論を仮留めしておくべきだろう。それは、映画を含めた、現在の近代視覚文化史研究においてはもはや古典的地位を獲得しているといってよいだろう、ジョナサン・クレーリーによる一連の議論である。
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西田亮介「ネットワークの記憶を紡ぐ」―連載〈方法としてのコミュニティ〉第3回

 2011年3月11日、未曾有の大震災が東北を襲った。それから3カ月がたち、いまや歴史にその名を刻むことが確定的となった。いつしか首都圏では大きな余震も収まり、特番態勢もほぼ終息した。しかし最近になって次々に露呈する当初見積もりをはるかにこえる被害の発覚は、公開情報が信じるに足るものかという判断さえ難しくしている。地震原発の安全性、放射性物質に関わる情報量が爆発しひとびとを半強制的に判断停止に追い込んでいるようにも見える。
 国内の主要な観光地や、つい半年前まで諸外国からの観光客でごった返していた都内の百貨店では、未だ閑古鳥が鳴いており、陳列が回復したはずのスーパーの食品棚もよくよく見ると、先日まで国内産が当たり前だった商品の産地が海外産に置き換わっている。このように薄皮一枚はがすと確実に今までとは異なった基層が姿を現しており、「日常回帰」はあくまでもごくごく表面上のできごとに過ぎないのだが、早くも悲劇は他のひとびとの日常生活の実感から切断され、ひとつひとつ確実に忘却されつつある。現代社会の日常がもたらす莫大な情報が、震災の記憶を早くも埋め尽くそうとしているのだ。
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渡邉大輔「からだが/で観る映像史」―連載〈イメージの進行形〉第4回

 前回、私たちは、現代の映像環境の歴史的帰趨を跡づけるために、映画史研究が注目する、いまから100年以上も前、「初期映画」と呼ばれる時代の映画の備える表象システムと、かたや「ポスト古典的」とも称される80年代以降の現代映画、そして、ニコニコ動画からコンシューマゲーム、ARにいたる21世紀の新たな映像系コンテンツ(メディア)のそれとの並行性を辿ってきた。繰り返しておくと、それらの一見相異なるコンテンツたちは、一様にその表象や受容空間じたいが持つ「アトラクション性」(現前性)という特徴において共通している。そうした複製イメージの孕むアトラクション性――映画研究者トム・ガニングのいう「驚きの美学」――とは、いってみれば、イメージの受容主体=観客のいるその場の文脈とも密接に結びつきながら、彼らにショックや神経的・生理的興奮を惹起するきわめて「身体的 physical」な情動効果に訴えるものであった。
 例えば、前回紹介した汽車活動写真や連鎖劇、そして、活弁や楽隊の実地的なパフォーマンスなどを楽しむ初期映画の観客の特殊な「映画(的)体験」は、暗闇の中で静かに席に固定されながら、いわば純粋な「まなざし」そのものと化してイメージを享受する20世紀のオーソドックスな映画観客像に比較して、(テーマパークのアトラクションやWiiで遊ぶ現代人のように)はるかに彼らの「身体」や「生理」の微細なホメオスタシス代謝作用)にこそ依拠し、またそれに終始全身を貫かれていたといえるだろう。そこで、今回は、映像圏システムの重要なエコノミーを下支えする観客身体や身体イメージの問題に改めて焦点を当て、さらにいくつかの具体的な論点を付加しておこう。
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