雅雲すくね「地下鉄道」―連載〈蛸親爺〉第5話

「たーこたーこ、たーこたーこ」と蛸が午過ぎに町医者の前を行く。
 口を絞って手に提げた頭陀袋は、ウイスキー瓶の形に膨らむ。頸には包帯を巻いている。
 青年が医院の戸から、短い草のまじる庭の砂利を踏みつつ、開け放たれた門に下って来た。
 出たところで右を向く。蛸には背を向けた形となる。
 蛸が青年に追い縋った。
「いやいや、ちょっと、蛸だよ。蛸。こんにちは。妙な所で会いますなあ。小川さん、どこか患ったのかい」
「僕はアレルギーで」
「ああそう。ありゃ痒いらしいねえ」
「魚介類を生のまま食べるとじんましんが出て、赤く腫れるんです」
「小さい頃からそうなのかい」
「いえ、この間、ぬた膾を食べたら全身にじんましんが出て。お医者さんの言うには、過度のストレスがかかる場合、今まで反応しなかった物でもアレルギー反応が出て、それからはストレスが引いても、アレルギー反応だけが残ることがあるそうです」
「ストレスって何かしてたの」
「ええ、ちよっと合わない所でアルバイトをしていまして」
「おれが蛸になっちまったのもアレルギーかも知れねえな」
「はあ」
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雅雲すくね「山の奥」―連載〈蛸親爺〉第4話

「たーこたーこ、たーこたーこ」と蛸が午過ぎに町医者の前を行く。
 口を絞って手に提げた頭陀袋は、ウイスキー瓶の形に膨らむ。頸には包帯を巻いている。
 青年が医院の戸から、短い草のまじる庭の砂利を踏みつつ、開け放たれた門に下って来た。
 出たところで右を向く。蛸には背を向けた形となる。
 蛸が青年に追い縋った。
「いやいや、ちょっと、蛸だよ。蛸。こんにちは。妙な所で会いますなあ。小川さん、どこか患ったのかい」
「僕はアレルギーで」
「ああそう。ありゃ痒いらしいねえ」
「魚介類を生のまま食べるとじんましんが出て、赤く腫れるんです」
「小さい頃からそうなのかい」
「いえ、この間、ぬた膾を食べたら全身にじんましんが出て。お医者さんの言うには、過度のストレスがかかる場合、今まで反応しなかった物でもアレルギー反応が出て、それからはストレスが引いても、アレルギー反応だけが残ることがあるそうです」
「ストレスって何かしてたの」
「ええ、ちよっと合わない所でアルバイトをしていまして」
「おれが蛸になっちまったのもアレルギーかも知れねえな」
「はあ」
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新連載! 牧田真有子〈泥棒とイーダ〉―第1回「命の恩人は黒装束!?」

「なつかし」
「何だっけ。ノスタルジア的な意味とは違うんだったよね。待って、思い出せそう」
 私は目を閉じて指で眉間をもんでみた。昨日授業で覚えたはずの古文単語は、たしかにまだ遠くまでいっていない。どちらかといえば、目の前にある、裏返ったカードみたいだ。でも手が出ない。私の内側にありながら関係できない。思いきり「手」を伸ばそうとすると、自分がいきなり澄んでしまうような感じがした。
 どこかで犬が低く吠えた。川風は軽く湿っていた。
「これ以上待ったらあんたの眉間からおかしな煙が出てきそう。①親しみやすい、②心ひかれる様子だ、慕わしい」
 高らかに読み上げると、チカは颯爽と単語集を閉じた。「もうちょっとで思い出せそうだったのに」と自分でも真偽のわからないことを言いながら、私も埃っぽい腰掛から立ち上がる。
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渡邉大輔「映像圏の「公共性」へ」―連載〈イメージの進行形〉最終回・中篇

 何にせよ、筆者としては、この二つの側面をできる限り相互に照らし合わせながら、その中間に想定されうるある種の「社会的領域」を映像圏的世界と結び合わせたいと考えている。それでは、そもそも公共性あるいは公共圏なるものを映画や映像の領域において、いかなる形で仮託しえるのだろうか。例えば、政治思想史学者の齋藤純一は、「公共性」という日本語の用法には主に三つの意味が含まれていることを指摘している。第一に、公共事業や公的資金など「国家に関わる公的なものofficial」、第二に、公共の福祉、公益、公共心など「すべてのひとに共通のものcommon」、そして第三に、情報公開、公園など「すべてのひとに開かれていることopen」であるという。そして、この三つの意味は、時に相互に排他的な関係を構成する。例えば、それこそ喫緊の国家的課題とな�ているTPPへの参加の是非は、第一の意味では紛れもなく公共的なものだが、第二や第三の意味では必ずしも公共的ではないし、かたやGoogleWikipediaは、第三の意味では公共的だが、第一や第二の意味では公共性にはそぐわないはずだ。
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雅雲すくね「二つ並んだ蛸頭」―連載〈蛸親爺〉第3話

 車の音が塊となって響き続ける大通り。銀杏並木の枝に烏がとまって一つなく。乗合バスの停留所に蛸が立つ。
 蛸は頭に黒いネクタイを巻き、こめかみから垂らせている。
「たーこたーこ。たーこたーこ。来ねえバスだな。行き先違いのバスばかりだ。日曜日の四時台は時刻表に十分間隔とありますが、三十分も来ませんな」
 蛸の鼻先をトラックが車体を軋ませて去り、排気ガスが蛸の頭を滑る。
「おう。びっくりした。げほげほ。こんな所で待っていちゃ、こっちがくたばっちまうわ」
 青葉を吹かせるべき風が、街路樹の埃を払い、一枚の葉を蛸の頭に吹き落とす。
「桃見、観梅、桜狩。木もなんだな。上の方にちょぼちょぼだ。葉っぱも下の方はからきし枯れ木だな。あれも草山にでも生えたかっただろうに」
と蛸は見上げた。
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渡邉大輔「映像圏の「公共性」へ」―連載〈イメージの進行形〉最終回・前篇

 2010年7月から断続的に続けてきた本連載は、筆者が2000年代の終わり頃から中心的な仕事として取り組み始めた映画/映像文化論のとりあえずの全体的な枠組みを描き上げることを目的とするものだった。そして、そこで掲げた問いとは、今日のグローバル資本主義ソーシャル・ネットワーキングの巨大な社会的影響を踏まえた、これまでにはない新たな「映画(的なもの)」の輪郭を、映画史及び視覚文化史、あるいは批評的言説を縦横に参照しながらいかに見出すかという試みだ􂓃た。つまり、筆者が仮に「映像圏Imagosphere」と名づける、その新たな文化的地平での映像(複製イメージ)に対する有力な「合理化」の手続き―システム論ふうに「複雑性の縮減」といい換えてもよいが―の内実を、主に「コミュニケーション」(冗長性)と「情動」(観客身体)という二つの要素に着目しつつ具体的に検討してきたわけである。
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雅雲すくね連載小説「蛸親爺」第1話、第2話を公開!

 「WB」vol.24に掲載し、ひそかに熱く迎えられている雅雲すくね氏による小説「蛸親爺」が、Wasebun on Web上で連載開始! 初回の更新は、2話連続公開です。
 ある日突然、蛸になってしまった中年男。これが少女で、イカになったのなら人気者になれたろうに…と悲観することもなく、日々飲んだくれてクダを巻く。得意技はオヤジギャグ。ライバルはうつぼ。相棒である冴えない大学生の小川青年を引き連れて、親爺は今日も侵略ならぬ、散歩を続ける!
 果たして親爺は人間に戻れるのか!? 戻る気があるのか!?


雅雲すくね「蛸親爺」 第1話「異装者」第2話「無間断の花見酒」(PDF 2011.11.16 UP)


 雅雲氏は、「不二山頂滞在記」で第21回早稲田文学新人賞を受賞。脱力系の文章と奇想が魅力です。6年以上の冬眠期間を経て、本作の連載開始。ほぼ毎月の更新予定です。